2019-05-29 第198回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
水面下ではいろいろ情報があっても、表に出てくることがとても大事なので、あえて申しますが、日本政府もかつて、今死語ですけど、アベックという言葉があった時代に、アベック失踪事件として産経新聞などが努力して報道してもなかなか本当のこととして取り上げられなかった。さっき質問いただいた北村先生は産経新聞の出身でいらっしゃいますけれども。
水面下ではいろいろ情報があっても、表に出てくることがとても大事なので、あえて申しますが、日本政府もかつて、今死語ですけど、アベックという言葉があった時代に、アベック失踪事件として産経新聞などが努力して報道してもなかなか本当のこととして取り上げられなかった。さっき質問いただいた北村先生は産経新聞の出身でいらっしゃいますけれども。
昭和六十三年三月に、実は、参議院の予算委員会で、当時の梶山静六国家公安委員長は、昭和五十三年の三組六人のアベック失踪事件を北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であるという、いわば歴史的な答弁をされています。本来であれば、この後すぐに、政府が今の対策本部のような体制づくりをして、その解決に向けて取り組んでいくべきだったと思います。
昭和五十二年九月に宇出津事件が起こりまして、その後、昭和五十三年七月に福井県で地村保志さんそれから浜本富貴恵さんが、そして新潟県で蓮池薫さん、奥土祐木子さんが、同年八月に鹿児島県で市川修一さん、増元るみ子さんが消息を絶つというアベック失踪事件が相次いで発生したわけでございまして、当時としては、警察として事件と事故の両面から捜査を尽くしていたものと考えておりますが、当時におきましては、北朝鮮によります
そのときは、福井、新潟、鹿児島の各県下で発生した一連のアベック失踪事件、それから富山で発生したアベック拉致未遂事件についての御質問、これは公明党の和泉照雄議員からの御質問でございましたけれども、これに対して、当時の捜査状況を警察からお答えしたと。しかし、まだ当時はこれが北朝鮮の拉致に関するものであるかどうかということについては御答弁ができない状況で、まだそういう御答弁はしておりません。
○山口那津男君 今御指摘のありました昭和五十五年の和泉照雄議員の参議院の質問、ここでも言わば三つのアベック失踪事件とそれから一件の未遂事件、これが質問の対象になり、この点の関心を警察庁として示したということでしたね。
○伊藤(英)委員 過去の状況を見ますと、一九八八年には梶山国家公安委員長が国会の場で、あのときは一連のアベック失踪事件についてだったと私は思いますが、北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございますというふうに答えられた。そして、その後、警察白書でもこれが公表されるようになりました。 その後、日朝交渉がずっと行われました。まず、その直後から八回行われましたね。